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記憶に残る家をつくりたい私が、家づくりで大切にしていること  

投稿日:2026年8月17日 | 読了時間:約9分(約4,800文字) | カテゴリー:


このコラムは、音声でも聴けます。
AIによる2人のホストの音声解説として制作しました。わたし本人の声ではありませんが、このコラムに込めた想いはそのままお届けします。通勤中や作業をしながら、どうぞ。


通勤する途中に私が気になる印象的な家がありました。その家が壊された時に、なぜか寂しい気持ちになりました。どんな家族が暮らしていたのか、このあとどうなるかは分からないのに。

不思議なものですが、良い思い出は良い記憶のまま残しておきたいのだと思います。

以前、こんなことを書いたことがあります。

「大きな木が切られたときに感じる寂しさのように、家を壊されたときに寂しさを感じるような家を設計したい」

「良い家はそれぞれですが、街に愛される家を設計したい」

今日は、なぜそう思うようになったのか、そして、どんな想いで家づくりをしているのか、少し丁寧にお話ししたいと思います。



記憶に残る家を

「記憶に残る家をつくりたい」と意識するようになったのは、設計という仕事を始めてからのことです。多くの建築家と話す機会や、雑誌で事例を目にする機会が増えました。

私が学生の頃、誰の設計かも気にせず「あの家好きなんだよね」と思っていた家がありました。片流れの平屋、東西に長く、白いモダンな外観。北側の外観しか見えませんでしたが、きっと素敵な家だろうと想像していました。

後になって、その家がある建築家の設計だと知りました。片流れの屋根のモダンな外観を多く設計する方だという印象です。学生の頃に見ていた家も同じような形、同じような色使い。「あの方が設計したんだ」という納得感がありました。

しばらくして気づいたことがあります。この「作風の一貫性」への納得感を理解できるのは、プロやその建築家のファンだけなのだと。街を歩く人や、その街で暮らす人にとって大事なのは、建築家の一貫性ではなく「何度見ても良い家だと感じる」本質の方だと思うのです。

その本質とは、街との関係だったり、土地と家の大きさのバランスだったり。良い家とは家だけでなく、家の周りとの関係性も大事です。樹木が植わっていたり、隣家との距離があったり。人が感じ取るのは新しい形状や素材や色使いではなく、違和感を感じない見慣れたものであったり、安心感があることなのかもしれません。

私が育った住宅街を歩いていた時、私の記憶にある家が建て替えられ、その通りの記憶を思い出すきっかけがなくなっていたことがあります。この街で育った時の記憶が失われた悲しさがあります。実家の向かいの家が壊され、新しい家ができた時にもどこか拭えない寂しさがありました。

相続が理由なのか分かりませんが、まだ住めるにもかかわらず壊されている家を多く見かけます。歴史がない街並みには愛着が湧かないと思うのです。

子どもたちが、受け継ぎたいと思う家。愛着のある家をつくりたい。それが、私の原点にある想いです。


なぜ、街に愛される家なのか

私は海外旅行に行くと、路地裏や小さな小道に好んで入ります。そこには、表通りの賑やかさとは違う、飾られていない街の日常があり、暮らしが溢れ出しているのを感じることがあります。子どもたちが路地で遊んでいたり、洗濯物が干してあったり、テレビの音や会話が聞こえてきたり。ご近所同士が、道でおしゃべりをしていたり。

街全体に活気があって、人の暮らしを感じる街が、私は好きです。

一軒の家を設計したことが、隣の家に影響を与える可能性があるように思います。私が隣家との関係を考えて設計しているからです。塀の高さを揃えたり、色を揃えたりすることがあります。

また土地の細分化に、設計者が関わることができれば、細分化ではなく、一体化した分割ができるのではないかとも思うのです。一つのまとまりのある、小さな街並みを生み出せます。

建築主には緑を植えることの大切さや、道路際を掃除している経験をお伝えすることがあります。

私自身が事務所の前の道を掃除しています。掃除をしていると、ある時道ゆく人が、案外、事務所の庭木を見ていたことに気づきました。「いつも綺麗な花が咲いていますね」と声をかけられたり、「あら、切っちゃったのね」と残念がられたり。たまには道を聞かれることもあります。

家の中に閉じこもっていると、街との接点がありません。道の掃除をすることで、その接点を自分でつくることができる。そこに近所の方が声をかけてくれて、そこから関係性が生まれる。街に活気が生まれ、街の変化に気づくようになる。そんな風に思っています。


師から受け継いだもの

師の田中敏溥のもとで学びました。一番は、他者を受け入れる許容の大きさです。大工さんが「こうしたい」と言えば、「じゃあそうしよう」と受け入れていました。

ただ、本人が大事だと思っているところは、決して譲らず、粘り強く取り組む人でもありました。一つの現場で大事にしないといけないところと、任せてもよいところのバランスの取り方を持っていました。

学んだことは数え切れませんが、「人に迷惑をかけない」「仲良くする」「相手の立場になって考える」など設計のテクニックというより、人としてのあり方を学んだように思います。

田中さんはそれらを「自分が大事にしている」と言葉で語っていました。強要はしませんでした。だからこそ自然と学んだのだと思います。そういう姿勢そのものが、人を惹きつけていたのでしょう。

デザインの面では、「普通」を意識することを教わりました。洗練された普通をつくりあげることの、難しさ。住宅においては普通でいい。家族が暮らす場であり、そこに日常があるなら、特別な場所にしなくてもいい。

一見、特別なことも、その家族にとっては「普通」のことです。家族それぞれ違うのであれば、それを受け入れながら、それぞれの「普通」を考えることが大事なのだと思います。住宅の外観においても、目を引くような特別なことをするのではなく、普通のことを普通につくる。それが、住宅においては必要なのではないかと思っています。


職人とともにつくる

職人が持っている技術を、どう引き出すか。職人の技を発揮させる場をつくりたい。そのために対話を重ね、いろいろな技術や経験を聞き出しています。同じ材料を使っても職人によって仕上がりは違います。

また、思想とは、日々の体験や見聞きしたもの、人との関係や家族との対話など、自分の人生(生き方)が濃縮されたものだと考えています。ただ、思想を形にするには技術が必要です。建築主にどう伝えるか、職人にどう作ってもらうか。その図面が描けるか、職人が実際につくれるのか。技術がないのに思想ばかり達者では、口だけになってしまいます。私たちは何より技術者です。まず技能を身につけなければなりません。

若い頃、図面を間違えて描いてしまったことがありました。大工さんはそれに気づいていたのに、その通りに仕事をしてくれました。間違いだとは思わず、「何か意図があるのだろう」と受け止めていたそうです。その時は対話が足りていなかったのです。一言、相談してもらえれば、一言私が声をかけていれば、やり直さずに済んだのです。その時、図面の線1本が持つ意味を深く学びました。

別の現場では、私が描いた階段の図面が、本当に実現できるのか大工さん自身が確信を持てず、実際に模型をつくって確かめ「これなら大丈夫」と、自分の勘を確かめてから施工に臨んでくれたこともありました。

私の描く図面だけでは本当によいものを作るには不十分です。もっとよいものにするために、対話が必要だと常々感じています。


素材への眼

素材が持つ良さを引き出すことが大事だと考えます。木であれば木らしく、石であれば石らしく。木らしさとは、木目が美しかったり、水に弱かったり、断熱性があったり、柔らかかったり。特に手触り足触りなど、触れていて優しい感覚を活かすことです。

こうした特性は、時に弱点にもなります。ただ、その弱点を理解した上で、適した場所に使えば、むしろ良さになります。

日本の固有樹種の杉やヒノキの白木(塗装をしない仕上げ)の良さは、手に触れるところや紫外線による劣化が少ないところで発揮されます。日本の靴を脱ぐ文化、手や足が直接触れる屋内では白木の良さが活かされます。またナラやチークなどの堅い木は、オイル塗装をすることで濃くて深い豊かな色が現れます。木をどう扱うかは、樹種や使用する場所によって、仕上げも考えないといけません。

屋外の木の経年変化は、家が建つ場所によります。自然が豊かな場所では、外壁に板を使うことで自然な変化が優しく感じられます。一方、サイディングの家が多い住宅地では、その家だけが劣化したように見えてしまうこともあります。

「木らしさ」とは経年変化することではなく、木という自然の産物を受け入れる気構えのようなものだと思っています。

屋内であれば掃除や拭き掃除で磨かれた木の美しさがあります。木が持つ油分が、木の色をより濃く味わい深いものに変化させます。それは塗装では得られない素材そのものの魅力です。

展示場やお店のように急ごしらえで並べたインテリアより、暮らしの中で徐々に整えられたインテリアの方が豊かに感じます。生活の中で必要な場所に必要なものがある。時間をかけて整えられた個性がありまとまりがないインテリア。味わいとは、そうやって時間をかけて磨かれ、整えられ、滲み出るものなのだと思います。


どんな施主と、家をつくりたいか

敷地の特性や法的な要件、ご予算やご希望、工法や材料など全体をまとめるのが私の役割だと考えています。建築主は部分的なことから全体のこと、家族のことや将来のことを思いつくままに話されます。それを全て叶えてしまうと全体のバランスが取れません。ご要望はいくらでも、なんでも伝えてもらって、そこから本当に望んでいるのは何なのかを探り出し、設計に反映してご提案していくのが私の役割なのです。

現場に入ると仕上げなど職人を介して伝わることもあります。私の意見とご自分の意見の間で迷われている時、「3人目の意見」を求めていることがあるのです。職人の意見を聞いて背中を押されてチャレンジしたり、逆に、諦めたりすることもあります。

以前、ある建築主と冗談を交えながらも強い要望をいただいたことがありました。「実現にはコストがかかるだけでなく、構造的にも負担が大きい」と真剣にお答えすることで納得して諦めていただけたのだと思います。どちらの意見が強いという話ではなく、できない理由を伝えたり、逆に積極的に応援したりする。それが、率直に言い合える関係なのだと思います。

家族が幸せに暮らせる、喜んでいただける。そんな家をつくりたいと思っています。ただ、価格だけを最優先し、対話や価値観のすり合わせを求めない家づくりは、正直、苦手です。それであれば、私が関わらなくても良いのだと思います。安さを追求する設計にはそれなりの蓄積(何を省いたり、どんな材料やメーカーを選ぶか、何を諦めるか)が必要です。私は「対話」を通じた家づくりが得意であり、そこを大事にしたいのでご要望にお応えできないと考えています。


良い家とは

「良い家って何だろう」

きっと、答えはないのだと思います。

それでも、毎回「良い家をつくりたい」と思っています。「今回は今までよりもっと良い家を作るんだ」と。自分の考えや経験、社会状況、土地、施主の要望。これらは毎回同じになることがありません。車のように同じものを繰り返しつくるのであれば、いつか「良い車」が完成するのかもしれません。でも、住宅、建築は同じものをつくることがないのです。

あらためて「良い家とは」と聞かれれば、家族が安心して暮らせる場所、家族が集まる場所だと思います。ただ良い家は家族によって異なります。箱としての家がどんなに良くても、家族関係がぎくしゃくしていたり、仕事で時間が合わずに家族が過ごす時間が少なかったりすると、それは良い家とは思えないのです。

良い家をつくりたいという思いは、みんなが持っています。ただ、それは人それぞれで良いのだと思います。だからこそ、私は、自分自身で考え続けていきたいのです。


この記事で紹介した想いをもとに、HKAでは家づくりを行っています。

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木下治仁

一級建築士/合同会社HKA 代表

1975年鹿児島県生まれ。田中敏溥建築設計事務所に13年間勤務し、2016年に独立、2024年に合同会社HKAを設立。東京・代々木を拠点に、木造注文住宅・古民家再生・リフォームの設計監理を手がける。ウッドデザイン賞2度、木の建築賞 職人のチカラ賞受賞。

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